安芸北組のお寺のご紹介
鎌倉時代の頃、石嶽山山上に真言宗の一寺「石水寺」として建立されました。
その後現在の位置に移り嵩山城主菅田豊後守の菩提寺として栄えましたが天文年間の兵乱で焼失したと伝えられています(光教坊縁起による)。
その後永禄年中(1558頃)和田七郎左衛門が出家し浄善と号し、浄土真宗に改宗し超福寺の開基となり、寛永六年(1629)二代浄専の時、坊号得て石嶽山光教坊となりました。
爾来、熊野の地においてみ教えを伝える念仏の道場となりました。
光教坊の江波瓦
平成五年、本堂屋根の大修復を行った際にそれまであった鬼瓦を下して歴史的発見がありました。(これは天保三年(1832)に瓦葺きにして以来160年ぶりでした)
その鬼瓦の大きさは、高さ 2.55メートル、幅 3.2メートルの大作でした。
顔の部分左側に、「天保三壬辰年五月調之」、右側に、「沼田郡江波村」と三人の職人の名前が刻まれています。
「江波瓦」の発見でした。
「江波焼」は現在の江波皿山公園のふもとで江戸末期から明治初めまで約40年、藩の殖産政策として作られていた、と言われていましたが、それまで現物が確認されていませんでした。銘文もはっきりしていて、町郷土史研究会や県文化財保護委員の指摘などから「江波瓦」と分かりました。
「江波瓦」が確認され窯の存在が立証された意義は大きいものでした。
現在、境内地内に一つ、町の郷土資料館に一つ置かれています。
石嶽山 光教坊
広島県安芸郡熊野町中溝4丁目16-5
TEL:082-854-0277
最寄駅からのアクセス
バス:矢野駅前 → 熊野町役場前 下車 徒歩5分