浄土真宗本願寺派 安芸教区 安芸北組

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仏教と平和

現在、私たちは、戦争・テロ・自然破壊・貧困・病気、国内においても、殺人・詐欺・偽装・生活不安等、多くの課題を抱えています。
この世を生きる今の私に語りかけてくださる仏さまの言葉に耳を澄ませてみませんか。

閉ざされた記憶

戦後70年が過ぎ去り「惨禍の記憶」が薄れつつある今日、仏教徒として平和への願いを新たにしていかなければならないと痛切に感じています。
長い年月のながれにより、薄れ行く記憶を思う。「多くの命の失われたことを」「戦争のむごさを」改めて「とざされた記憶の扉」を開く必要があるでしょう。
20年前いつも、お参りしていたお宅でのことです。その家のおじいさんと、ふたりきりの日がありました。帰り際に、そのおじいさんは「ご院家さん、ちょっと聞いてつかあさい。」とおっしゃるので、もう一度、座り直しました。「実はわしは人を殺した事があるんです。」思わずギョッとしました。「この50年、いっぺんも人に言うたことあなあんです。じゃが、胸が苦るしゅうてのお。それはまだ戦争中のことで、わしに召集令状が来ての、中国大陸に行かされたんですわい。その時わしは、鉄砲を撃つまねだけして、絶対に人は殺さんど、と思いよりました。ところが、中国に着いた次の日の朝、まだ暗いころ、上官に叩き起こされて、兵舎の前に連れて行かれての。」そこには、近くの村から連れてこられた、現地の村人たちが、地面に突き立てられた木材に、縛り付けられていたというのです。その時、上官の声が響いたのです。「お前らは、人を殺した事はあるまい。今から、その練習をさせてやる。」おじいさんは、その言葉を聴いた瞬間、頭の中が真っ白になった事、そして、その村人の中には、女性や子供の姿があった事、また、命令に従わなければ、自分が処刑をされる事への、恐怖と葛藤を話されました。「わしゃあのお、銃剣で人を刺し殺しましたわい。何の罪もない人を殺したんです。50年たった今でも、あの時の感触が、この手に残っちょるんですよ。戦争ちゅうもんは、むごいもんですのお」50年という歳月の間、ずっと口を閉ざし、胸の中にしまい込まれたものを、一気に吐きだすかの様でした。その一言一言を聞きながら、語り継ぐ事の大切さを、あらためて感じました。そして、歎異抄の「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と親鸞聖人のお言葉を思いつつ、縁があればどんな事でもしかねない私たちだからこそ、非戦の思いを強く持たねばならないと感じた事でした。

合掌 宝海寺住職 熊谷常照

仏教は平和の教え

実にこの世においては、 怨みに報いるに怨みを以てしたならば、 ついに怨みの息(や)むことがない。 怨みをすててこそ息(や)む。 これは永遠の真理である。  中村元訳 『ブッダ真理のことば』

仏教は平和の教え 平和をめざす教え

仏教は来世の問題を説き示している宗教であり、現実社会の問題には関心がないように考えられておられる方は多いと思います。これは長い歴史の中で、仏教の一面だけが強調されて伝えられ、そのような誤解が生まれてしまったのです。
仏教の原点(本来の教え)は、開祖であるブッダ(お釈迦さま)であります。
表題のことばは、ブッダ(お釈迦さま)のことばをつづった最古の経典にあることばです。 このことばは、明らかに来世のことではなく、人間社会の問題に対することばであります。

かたき討ち・自衛権

江戸時代のかたき討ち≠竝曹フ自衛権≠認めるのが、人間社会ですが、ブッダは《真理》として、「怨み」が生まれ、「怨み」が相続、増幅し、人の心に怒りや争いが絶え間なく続き、平和の実現は永遠にかなわないことになることを見通しておられるのです。ブッダが問題にしているのは、権利ではなく、真理なのです。

和を以て貴しとなす   聖徳太子 十七条憲法第一条

日本の釈迦 聖徳太子 するどい指摘

日本のお釈迦さまといわれる聖徳太子は、十七条憲法の第一条の冒頭に「和を以て貴しとなす」と記されました。国をつかさどる心構えとして、まず「平和」を挙げられました。真の仏教徒です。この言葉に続けてとてもするどい指摘がしてあります「人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。」と明示されています。【党=人は徒党を組みたがるが、たくさんの人が集まったからといって、真理をわきまえる者は少ない】という意味です。
多くの数を持っている党といえども、憲法違反がまかり通る道理などありません。

中国を憎むのではない。
中国を憎む心を憎む。
敵は最大の師である。  ダライ・ラマ

現代の釈迦として世界中の尊敬を受けるダライ・ラマ法王。

ご承知のようにチベット国家の君主でしたが、中国の力による支配で自治区とされ、亡命をよぎなくされてしまいました。
国を亡ぼし、愛する国民を虐げられているにもかかわらず、ダライ・ラマは「中国を憎む(私自身の)心を憎む」と言われるのです。憎むとは、嫌う、遠ざけるという意味です。自分自身の心に、怒りや争い心が起こることを遠ざけるということなのです。まさに、ブッダの真理そのものです。真理の実践者です。それどころか、大切なことを教えていただいた師である≠ニまでおっしゃっています。

みなさんそれぞれお考えがあり、ご意見もあることでしょう。
ご承知いただきたいことは、仏教は平和の教え・平和をめざす教えであるということです。先の大戦では、平和をめざすブッダの教えに反して、行動してしまいました。この深い反省と懺悔を噛みしめて、平和の教えを大切にしたいと思います。

品秀寺住職 柳父正道

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