安芸北組のお寺のご紹介
明顕寺は天文十八年(一五八九)に飯の山の麓、竜王の森(現在の海田町稲荷町)に、真言宗の寺院蓮華寺の末寺として建立され、海田市に宿場町ができるのに併せ、現在の場所、新設された山陽道沿いに移設されたと伝えられている。開基は明玄法師である。
現在の本堂は火災の後、享保十六年(1731)に再建されたもので、安土桃山様式である。原爆の際には本堂の屋根瓦の2/3が落ちたが、戦後すぐに復興され、山門とともに往時の様相を呈している。復元工事の寄付者の名表を見ると、サンフランシスコ、ロサンジェルス、サンノゼ、ブラジル、等と、移住した海外の門信徒の資金のおかげで明顕寺が復興できたのが解る。石垣は十六世紀の装いを残している。本堂内陣・外陣は七間四面、実質十一間四面の本堂である。
原爆投下時には、歩いてきたたくさんの被爆者が最後にこの本堂内に横たわり、多くの人が一分以内に息絶えたと伝えられている。境内地内には第二次長州征伐(一八六五年〜)で亡くなった越後高田藩士の墓もある。
また、明顕寺の梵鐘は戦時中の供出を免れた鐘であり、十八世紀に海田町内で鋳造されたもののようである。明顕寺は地域の方々に守られ、ご奉仕をいただいて存続してきた。これからも地域の人々のお念仏を称える姿を見守る存在でありたいと願っている。
十王山 明顕寺
広島県安芸郡海田町稲荷町 1-2
TEL:082-823-2898
最寄駅からのアクセス
JR山陽本線 海田市駅より徒歩5分